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烏有に帰した野原で

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親指Pの修行時代

2009.02.08 Sunday 01:28

大江健三郎の書く一人称が嘘であるように――あるいは、純粋にキャラクターのみが動く一人称であるように、親指Pの修行時代、ひいては、松浦理英子の一人称もそういうものだなぁと、僕は感じたわけなのでした。
これについては、文庫本巻末に書かれている「自著解説(笑)」とは違った方法によって発見し、というより読中で思い込んでしまったので、今更、真野一実は松浦理英子本人が投影されたキャラクターなんですよ! とか言われても困ります。困りますというか、ありえないって思う。けどちょっとネットで調べて否定的な意見を見てしまうと、人は感動的に捉えられた作品、作者に対してもそこまで良くはないんじゃないかといぶかってしまうものだと思います。
ともあれ、松浦理英子という作家については、この親指Pの修行時代で知って、河出文庫BUNGEI collectionになってる、セバスチャン、ナチュラル・ウーマン、葬儀の日を読んでも、やっぱり僕としてはこの、親指Pの修行時代がすばらしいという風に思うのです。
今回は再読だったわけだけども、やっぱり登場人物の配置、そして巻き起こる問題などが計算ずくで、うへぇ、だとか、どひゃーだとか、思ったりしながら読んでいたりしたわけですけれども、今回の作品の主人公は真野一実ですが、今作においてみるべきポイントは、一実と政美の対比であるように思えました。場面的には一実と映子の関係が一番濃密だし、「快い」のだけど、そういう描写は、政美によってさらに引き立つ。物語後半から、一実と政美のコミュニケーションが多くなるのだけど、やっぱり彼なくしては親指Pを評価できないという気がする。なぜなら、一実と政美は確実に対象関係にあるからだ。
一実に親指ペニスができたのは、偶然とも、のろいとも見えるタイミングだった。原因は不明、夢を見たら現実にも生えている――意図が介在していない。政美の場合は、自分がレズビアンになりたくて、である。パイプカットをし、擬似陰唇(あるいはヴァギナ)までこしらえた。しかしクリトリスはついていない。「自分が本当は男なんだってことを、肝に銘じておくためよ。」
この二人はかなり対照的だ、ということが良くわかるのではないか。一実は基本的に性に対しての関心がなかったのだが、親指Pの存在によって、有無を言わせず意識せざるを得ない。筆者は自著解説でもそのことを示唆している。
かわって政美は、元から性に対しての関心があり、自分のペニスを切除し、人工ヴァギナを拵えることによって、「女」になろうとした。しかし彼に寄ってくるのは「興味本位で寝たがる相手」であって、そこに愛はなかった。
一実はこの物語によって、愛情と呼ばれるものをセックスを通じて理解したり会得していたりするけれども、政美にはそれがない。
本当はもっと書きたいのだけれども、読中の心境をすでに忘れてしまったらしく、本当に自分の記憶能力の低さに閉口するだけだ。どうにかしたい。もともと、一実と政美についてはこんなところに書いてあるだけの理由で見るべきだとしているわけではないし、読中にはそれを意識していたし、理解もしていたと思う。

人物配置の妙については、書く必要があるのだろうか。これは考えてみたらすぐわかることだ。繁樹は健常者に近いけれど、彼にはそういう健常者に近いキャラクターでなければ亜衣子との葛藤は生まれなかっただろうし――つまり亜衣子のために存在したキャラクター、映子という存在は、愛情なんてものを解体するための道具のようなものにも思える。これは一実の映子への好意に気づくところでわかったはずなのだけど、実際どうだろう。話が長いと、ついつい読んでいる箇所に書いてある文章でその状況に気づくので、初読時にはここら辺を見落としていた。保については、インポテンツであるのに性交が出来るという自己矛盾を抱えている若者で、まさに映子の相手役に相応しい。相手が映子という存在でなければ、愛情なんてものを感じ取ることは到底不可能だっただろう。春志に対しては、まるで女の子のようなという形容詞をつけたくなるほど、男っぽくない。子供っぽいとも言える。これは男性性に対しての回答であり、一実を恋愛という固定観念からジャンプさせるのには、いいステップである。

というか、この作品は意図的にストーリーを排除しているはずなのに、別の視点から「そういうビルドゥンクス・ロマンじゃない」というのは、どうなんだろうか。まあ、僕は松浦理英子じゃないのでいいけど。

庸平に対してのコメントがなかったから今書くけれども、庸平の扱いは丁寧にも宇多川の台本に書いてある。その容貌ゆえに女から相手にされない男。しかし彼には美しい彼女がいる。庸平は宇多川に対する回答のために存在しているとみていいだろう。

結局この作品では何が言いたかったのか――僕個人の勝手な解釈によって(これまでの文章もかなり勝手な解釈が混じってはいるが)ここにあらわしてみると、ペニスがなくてもセックスできるし、愛情を育むことが出来る、といった類だろうか。なんだかしっくりこない。この本はもっと僕の内側をえぐってくれたのだと、思っていたのだけど、賢者タイムになり、アウトプットしようとすると、ふにゃちんになってしまう。

ペニスがなくても愛情を与え合うことが出来る――なんていうのは、セバスチャンでもそうだと思うし、ナチュラル・ウーマンでもそうではないか? これらの小説では実際に男性と性行為をしている場面は出てこない。そうであるのに、二人は愛し合っているといっていい関係である。

書いてて思った。純文学を読み解くには卓越した論理力がいるのね。

なんだか本当に萎えてしまった。親指Pの修行時代って、結局オナニー小説だったのかよ、と軽く落胆してしまう僕です。でも別に小説とは本来読むものであって、考えるものではないからいいんじゃないか、とも思う。
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まだ続くかもしれない小説。

2009.02.07 Saturday 13:50

 男の子が滑り台の上で、バービー人形の足をつまんで、それを落とさんとしている。静かに地面をじぃと眺めており、顔は影になってうかがい知ることが出来ない。公園の電灯が、弱弱しく点滅する。青いシャツに黄色い半ズボンの男の子は、静かに自分の手に持っていたバービー人形を離した。ぽす、という音がして、裸のバービー人形は影の中に落ちた。髪をばらばらに撒き散らし、宙をその青い目で眺めている。男の子はそんなバービーに目もくれず、今度はリカちゃん人形の足をつまんだ。そうして、やっと私に気づいた。
頭を上げ、こちらを見たその顔は、ひどく陰鬱で、自殺寸前の初老の男性を思わせた。私は何かを言おうと思ったが、彼に対して言葉を持っていないことに気がつく。なんといえばいいのだろう。――何をしているの? この言葉は、あまり良い切り出しではない。何をしているのか、そんなことは状況を見れば自明である。もちろん、ここでの意図は、なぜそんなことをしているのか、なのだが、行動すべてに意味があると考えていることすらおかしいとは思う。私がこうして夜公園に来たことに、意味なんてない。
男の子は、いつの間にかまた地面を見つめていた。何を考えているのだろう。だが、私は彼に対して何かを知っているというわけでなければ、そこまでの関心もない。私は振り返って帰ろうと思った。そのとき、ぽす、と砂の音がなった。思わず振り返ると、案の定リカちゃん人形はバービー人形の上に倒れていた。
男の子は滑り台をずぶぶぶと降りると、すばやくターンし、滑り台の支柱の本に落ちてある人形二体をさらうと、すぐさま階段を駆け上って、しゃがんだ。それから私のほうをじぃっと見るので、私は思わず尋ねる。「何? 私の顔に何かついてる?」
男の子は興味をなくしたように一度俯いてから、暗い声で「別に。何も付いてないよ」と言いながらまたバービー人形の足をつまんだ。バービー人形は、その豊かな金髪を逆さまにしたまま、気をつけの姿勢を保っている。
「その人形、綺麗ね」何か話しかけたかったから。
「そんなことないよ。もう何度も落としてるから」
それはそうだ、と私は口をつぐんだ。男の子はバービー人形を落とす。


人形落としを二往復すると、男の子はまたずぶぶぶと滑り台を降りて、私が来た方向とは逆のほうへ歩いていった。私も思わず付いていく。男の子は、一度二度、こちらを振り返ったけれど、私は肩をすくめ苦笑して返した。男の子の目が、にらみを含んでいたのには、いくら私がKYだろうと気づいている。それでも私は男の子についていく。なんとなく、理由はそれだけだ。
かくして、私と男の子とのチェイスが始まった。男の子は時々走る。私もそれに吊られて走る。時折振り向くと私がいて、男の子は舌打ちした。男の子は時折サッと角に入り込んだけど、いつも私が来ていることを怨む目つきで確認して、あきらめたように歩き出し、またころあいを見計らって走り出す。私も付いていく。
男の子はついに走るのをやめた。肩で息をしている。私はそんなことにはならなかった。少なくとも、男の子の2倍生きている自信はある。
「もう、なんだよ」そんな男の子の声が聞こえた。
「何だよじゃないよ。もう体力ないのか、日本男児!」私は胸を張って、力強く言う。
「お姉さんよく元気だね。結構公園から距離あったはずなのに」
「お姉さんだからねっ 当たり前だろっ!」
私は力強く、男の子に向かって親指を立てた。男の子の顔が、苦笑いにゆがんだ。
「それ、似合わない」
「いいやいいや、似合う似合う。誰だってこのポーズは似合うんだから」
「そんなの誤解だよ」めんどくさそうに男の子が言うので、それ以上引っ張るのをやめた。
「それで、どこまで着いてくるのさ」
「君の家まで」
「新手のストーカー? やめてくれないかな」
「何で? なんなら私のうちも案内してあげるよ」
男の子はしかめっ面で「そういう問題じゃないでしょ。とにかく帰ってください」と言った。その突き放した台詞がなんだか悲しくて、私は泣き声で「そんな事いわないでよ、今日泊まる宿もないのよ」というと、「そんなの僕は知りませんよ」と男の子はまた突き放した。
「というか、お姉さん家があるんでしょ? 家に帰ればいいじゃないですか」
「嫌だ。だってうまく眠れることも出来ないもの」
「どういう意味ですか」男の子はほとんど呆れ顔になっている。
「私、さっき死んできたから」私は当たり前のことを当たり前のように言った。


死のうと決意したのはいつのことだったか。ともかく私はなんとなく屋上にいて、なんとなく柵を飛び越え、なんとなく風に当たっていた。暗闇に煌く電灯は、私が屋上に立っていることを意識させ、また目の前に柵がないことを見せ付けた。障害物のない夜景ほど綺麗なものを、私は見たことがない。それから柵にもたれかかって、コブクロの桜を歌いだし、さくらぁぶって聞こえるところで思わずクッサーと思った。やっぱりあの歌詞は地味に臭い。それからなにかしらの曲を思い出そうとしたけれど思い出せず、なんや、つまらんなと思って下を覗いて見ると、遥か彼方に地面が垂直に見え、落ちるイメージトレーニングを自然にしていた。私は見る見るきりもみ回転しながら落ちて行き、顔面から衝突。そのとき顔はつぶれて頭の中身がそこら中に飛び出るんだろうなぁ。血に混じって。それから私は柵をつかんでもっと身体を乗り出した。手という命綱があれば、怖くはない。それからぶらーんぶらーんと身体を横に振っていると、これが案外楽しい。でもすぐに飽きが来て手持ち無沙汰になってしまい、寄りかかっていた柵を腰で跳ね押すと、中空へ体が投げ出された。あ――と思う間に私は柵をつかんで内側に立っていた。頭が混乱しているのを意識していると、落下音がして、ぐちゃとか、ぶちゃ、とか、肉が地面とぶつかる音がした。あぁ、私は死んだのだ。ちょっと現場を見てみたかったけれど、きっとグロテスクにいろんなものが飛び散っているっていうのがわかって、結局つまらないんだろうという判断をした。それからひとつ発見だったのは、私はつかむことは出来るが、立っていることは出来ないということだった。私が階段で降りようと柵から手を離すと、身体はずんずんビルの中へ降りていった。あれれと思っている間に2~3階は落ち、なんとか電話コードをつかむとその状態のままで静止した。上半身だけが上に出ていて、下半身はどうやろうとも上にあがってくることは出来なかった。ただ、地面に立つと、それ以上下にいくことはなかった。不思議な身体だなぁと思うとともに、そんな身体を得た事に満足した。


「なんで僕の前にあなたがいるんですか」男の子は驚異的だ、とでもいいたいような顔をした。
「いちゃいけないの? あなたが面白そうだったから着いてきてあげたのに。少しは感謝してくれてもいいと思う」
「感謝も何もないでしょ。大体、あなたは死人で、僕はまだ生きてるし心臓も動いてる」
「私だって心臓くらい動いてるよ」ほら、と左手首を差し出したが男の子はそれを忌むべきものだという風に見て、しっしっとやった。
「確認しなかったらわからないでしょう?」
「わからなくてもいい、あぁ、なんでこんな面倒くさいことに」ついに男の子は頭を抱え始めた。こっちのほうが面倒くさい。
「きっと君は私のこと触れるよ? 私も君のことは触れると思うな」
「そんなことはどうだっていいんだって」男の子にはカルシウムが足りていないようだ。
「じゃあなんで悩んでるのよ」
「なんで悩まなくちゃならなくなったのかを悩んでるんだよ」
「無意味ー」ボソッと馬鹿にするように言ってみた。男の子は耳をピクリと動かしたけどそれ以上何もしなかった。
「つまんないのー」思わず口に出した。それでも向こうは勝手にあーあーうーうー呻っている。
男の子が情報を与えてくれないから、私は勝手な推測をすることに決めた。まずひとつ。なぜ彼は歩かないのか。彼はさっき足を止めて以来、マンションの階段に座っていて、動こうとしない。さてはここが彼の家なのかもしれない。だが、常識的に考えると、私が余りにしつこいからうんざりして帰るのを待っている、というほうが現実味がある。まあ、私の経験則なんだけど。生前からいつもこんな調子でみんなにウザがられて私はいつも除け者にされていたから、除け者にする者の気持ちも少しは考えたことがあるのだ。いつもミリちゃんとかユマちゃんとかが他人の家の前で私と言い合いになっていたのは、きっとこの為なのだと、子供ながらに考えていた。ふたつ、なぜ彼は何もいわないのか。何も言うことがないからかもしれない。なぜ言うことがないのだろうか。こうしたとき、二つの場合があると考えられる、本当に言うことがないのか、言わないほうが得策だから言わないのか。しかしまあ、これ以上探りを入れるのは無理だという気がした。私の頭はそこまで回転が速くないし、優秀でもない。
男の子はまだ悩んでいた。彼のCPUが熱をあげないか、心配になっておでこを触ってみたがなんてことなかった。触った後から、男の子が顔を真っ赤にしながら一気に階段を駆け上がっていってしまったのには、さすがに驚いたけれど、私はそうなるような行為をした覚えがない。本物のお化けでも見たのだろうか。
私はともかくも男の子が俯きながら何かを振り切るようにして階段を駆け上がった姿が強く印象に残り、その真意を確かめたいと思ったので、階段の手すりを腕だけで上っていった。だが二階に上がっただけで詰んでしまった。男の子がどの部屋に入ったのか、わからない。そこで私は少し面白いことをひらめいて、手すりから、いくつか並んでいるドアノブに狙いを定めて、飛びついた。地面との距離はそれなりに保てていたので、私はそのまま身体を部屋のほうへ押しやった。それから私はドアをすり抜けて、部屋の向こう側へ身を乗り出した。部屋の中は薄暗く、万年床がおいてあるほかは、ゴミが散乱していた。台所には適当に置かれているいくつかの食器があるだけで、人の姿はなかった。なぁんだ外れたのか、と思ってまた手すりに飛び移り、隣のドアノブへ狙いを定めてまた飛んだ。
ドアノブをつかんで、また身体をのめりこませる。すると、橙色の明かりがひとつついていて、その下に座っている人の影があった。私は直感的に男の子だと思った。体の大きさはいつの間に成長したのか、私より大きかったけれど。それに、服の色も軍隊の人たちが着るような深緑に茶色を少し足したような色で、ズボンはパンパンになったジーンズだ。彼はうずくまりながら、何かをしているようだ。気づかれないように周囲のものに触れながら、私は男の子に近づいた。ちょうど背後に回りこめた、と思ったら、後ろにある押入れの中には、ところ狭しと人形が飾ってあった。人形というより、リカちゃん人形やバービー人形みたいな、マネキンのような人形たち。いつか秋葉原で見たような、胸にちゃんとしたリアリティのあるものでなく、滑らかな稜線の胸をした人形たち。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がする。また、ほとんどのことを悟ることができた。電灯の下で一心不乱に人形をつかんでいるのは、脂肪の塊だった。脂肪の塊は人形の両腕を持ち、じっと眺めている。私もそれに習い、眺めるけれど、ただの人形であることに変わりはないし、私の背後にある人形たちとも、なんら変わっていないようにすら思える。それから脂肪は、鼻息を荒くしながら人形の胸の間をなめ始めた。その感覚にうっとりしているのか、幾重も幾重もなめる。人形が唾液まみれになるけれども、脂肪は一心不乱に胸を舐める。脂肪の舌は、喜んでいた――私にはそのように見えた。また、脂肪の息が荒くなる。脂肪のペニスがトランクスの上からでもはっきりしだした。――興奮してる。人形の胸を舐めて、興奮してる。私は脂肪の頭の中を覗いてみたかった。どこに興奮する器官があるのかが、気になったのだ。一通り舐めきると、脂肪は人形の足を持った。バービー人形の胸が灯りに煌く。脂肪はバービー人形の股を強引に広げ、クンニをやるように舌で股間を舐めた。一瞬、脂肪の身体に鳥肌が立ったのが見えた。もし彼が天を仰いだなら、それは神へ祈りをささげる信者のような恍惚を浮かべていただろうと思う。舌の先、腹、側面を使って舐める。舌で犯しているようにも見える。だが、そこに野蛮な攻撃性を見出すことは出来なかった。むしろ、脂肪は無邪気で解放されていた。私がなぜそう思ったのかというと、彼は人形に女を重ねているのではなく、単純に人形を舐めているだけに過ぎないからだ。舌が、喜んでいる。脳ではなく舌。バービー人形の胸の谷間や、彼女たちの割れ目のなかった股間に設えた割れ目だとかの感触を、舌が喜んでいて、脂肪はその感覚に酔っているのだった。
いつしか私はその様子を固唾を呑んで見守っていた。何も言う気になれない。むしろ、ここに自分がいたことを知らせてはならないというような気がした。けれど動かなかった。背後が気になった。後ろを見ると、マネキンのごとき人形たちがこちらを見ていた。舌が勝手に口の中で動き出し、唾液が口に満ちる。――だ、ダメだ。これは。私はいてもたってもいられなくなって、外へ飛び出した。何もつかまなかったから簡単に地面に降りれた。とにかく人形のことは忘れなければならないと思った。忘れなければ、私まで脂肪になってしまう――


私は診察台か何かに載せられていて、顎を引いて自分の身体を見てみると、何の服も着ていなかった。私以外の人間は誰もいない。私はただ台の上で寝かせられているだけだった。手と足は動かないように固定されていたけれども。
なんとなく、この拘束状態であっても危機は感じなかった。よく、映画とかで全身を使って手錠や足枷が外れないことを証明しているけれど、そんなこと、よくやるなという風に思えるほど、余裕があった。少しして右側にあったドアが、プシュッという音を立てて開いて、白衣にマスクをつけた男の人が出てきて、私のところへやってきた。
「やぁ」英語でいえばHi! というように、いとも軽くその男は言ってきた。私も、
「やぁ」と同じ調子で答える。マスクの奥の口が、少し釣りあがるのを想像した。彼ならそうすると思ったから。「検査するよ」「検査?」「ちょっと触るだけだよ」「痛くしない?」「するわけないだろ」「わかった。おとなしくしてる」
それから男の人は私のおっぱいを撫で始めた。ちりちりという軽い刺激が、甘くなっていく。それでもあえぎ声を発するほどではなかった。男の人は一度うなずいて、「検査終了」と言い、ビニール手袋をはめた。へぇ、何を始めるんだろうと夢見心地でいると、男の人は、畳のような大きさの膜を私の足元に立てて置いた。あまりにもそれが自然には見えなかったから、私は「いったい何をするの?」と尋ねることにした。
「君を、」男の人は笑った。「人形にしてあげる」
「本当に?」私は無邪気に笑った。「きれいにしてくれる?」
「もちろんさ。僕に任せて」私は一瞬恐怖を抱いたことを後悔した。「わかった。私は寝ていたらいいのね」男の人は頷いて、膜が私のほうへ降りてきた。私の鼻や額に膜がかかる。降りただけでは、まだ私の耳の横などに空間は残っている。「少し口をあけて」言われたとおりにする。それから掃除機の吸引音がして、膜が私に張り付き、空間は消えた。頬の辺りで膜が伸びているのがわかる。口をあける必要があったのは、膜で覆われた空気が消え去るためだったらしい。空気が消え去ったら、私は呼吸ができない。口が膜で覆われると、口のほうでプスという音がして、一気に呼吸が楽になった。どうやらストローのようなものを口に突き刺したらしい。気づけば、前面だけでなく、ふくらはぎなどにも膜の感触がある。サンドイッチにされてる――私は自分がカツサンドのカツになった思いがした。それなりに心地よかった。パンはやわらかいし、湿っているから布団に最適なのだ。
男の人が何かを言ったような気がした。けれども私の耳はパックされていて、うまく聞き取ることが出来ない。何? と尋ねたかったが、口はなぜか動いてくれず、私は苦し紛れにうー、うー、と言うだけだった。
少し時間がたって、プシューという空気の抜ける音と共に空間がまた戻ってくると、私は脱力して思いっきり深呼吸をした。その満足感に浸っていると、いつの間にか眠りが訪れていた。


目を覚ますと、私はテレビのリモコンを握っていた。いや、握っていたというより、リモコンに手を置いていた。それのおかげで、私は落ちなくて済んだらしい。私はふと、自分の体が人形になっていないか、気になった。だが握っていないほうの手は、私の意図したとおり、こちらにやってきた。――なぁんだ、人形になってなかったんじゃん。男の人の馬鹿。私はとりあえず起きることにした。私の部屋、昨日から変わったのは私だけ。一度ため息をつくけど、別につく必要ないじゃんということに思い至った。バイトに行く必要がない。私は死んでいるから。きっと私の死体はマンションの住人が見つけて通報して、そのうちに身元が割れて――じゃあ、ここにいれるのはあとほんの少しの時間なのかもしれないな。そう思って、私は夜逃げの準備を始めた。といっても、必要なもの、欲しいものを持っていくだけだ。万年床の上に、いろいろと並べる。携帯電話、お財布、ぬいぐるみ、ディルドー、JamiroquaiのSynkronized、サイケデリックな帽子、柔道着、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」、ノートパソコンを置いてそれらを眺めてから、アディダスのボストンバッグに詰め込み、まだ余裕がありそうだったから、服を入れることにした。パンパンにしたボストンバッグを肩に掛けるとずしりとした重みがあった。これが私の生活のおもみかぁ、という風に感傷に駆られたけれども、思えば女一人がやっと持てるくらいの重さしかないのである。やっぱりそーいうもんだよねー、と私は朗々と玄関を開け放った。

人の話は、ひとまずは聞くべき。

2009.02.07 Saturday 13:47

今日、頭髪検査のために職員室に行って列に並んでいると、先生と生徒で一悶着あった。生徒のほうは野球部で、先生のほうは体育教師で体操部、男子バスケットボール部の顧問だった。先生は生徒に「後ろの髪が膨らんでるだろ」ということを再三告げたけれども、生徒は反発して「これくらい認めてくださいよ」という。もうこの時点で、僕からしたらよくそんなことがいえるな、と感心してしまえるのだけど、ついに先生は反発する生徒に対して怒気を露にしてしまう。「お前が検査ごとにポイントで髪切ってるのはわかってんだよ。だから耳の後ろの髪が膨らんでいるんだろう。床屋に言ってさっぱりして来いよ」僕の高校の生徒なら、これに更なる反発心を覚えるのだろうけど、僕のほうは納得していた。頭髪検査の目的はそれに合格することではなくて、あくまでも生徒のイメージ向上を狙ったものだと、僕は思っている。私立高校だって、所詮ビジネス。だが先生はさらに、野球のことまで口に出してしまった。「野球選手はみんな髪短いだろう」「野球は関係ありません」「それだけ気合を入れてるってことだ」この時点で、もはや二人の合意なんてものはありえないものとなってしまった。僕であるなら、そうですよね、と言って床屋に直行しているところだろう。面倒くさいことはしない主義なので。
これにさらに突っかかる女子がいたのも事実だ。彼女は廊下の壁に腕を組みながらよりかかって、先生に「早く見てくださいよ~」とまるでクレーマーのような口調で言いがかりをつけた。この時点で僕は彼女に対しての興味を失った。何で彼女があそこにいるのかもわからなかった。もし刀を持っていたら、切捨て御免、なんてことも、やっていたのかもしれない。これに対して頭髪検査のために待っていた男子二人が、女の子に対していろいろと言い始めた。「お前きめぇんだよ」とか。そうして、彼女の標的は男子二人に向けられたのだけど、理由が「授業中うるせーんだよ」もうだめだった。理由があまりにも子供じみているし、彼らのいる環境にいる僕でさえ、そんな理由がまかり通るわけがないということを知っていた。ようは、説得力がなかった。感情だけで言葉を語り、論理的に理由を突きつけることが出来ない。だから男子たちは下卑た笑いを浮かべながら「ははは」と笑っていることが出来たのだ。少したって彼女が廊下に向かってうつむいていたのにも理解が出来なかった。どれだけ頭が悪いんだよと、思わず心の中でつぶやいた。

会話を成立させるためには、その対象の発する情報を正確に読み取り、解釈する必要がある。意地の張り合いになって、自分のほうが、自分のほうがと主張することで会話することは出来ない。それは未成年の主張であり、校庭の上から全校生徒に向かって叫んでいるだけである。
要約すると、つまらんことやって面倒くさいことなんて起こさないほうがよくない? だ。

小説を書くこととは、小説を読むことである。

2009.02.06 Friday 20:52

これからの文章は思い付きかもしれないから、鵜呑みは禁物。

ワナビなどで、ネタが思いつかない、だとか、うまく小説が書けないとかわめいているのがいるけれど、それは単純に小説が読めていないからだ、ということに気がついた。
小説が読めていないということはどういうことか。僕のことを例にして話すと、僕は常にテクストに沿って読んできた。テクストの意図を見据え、それについて考察する、とでも言うような感じで。しかしそれは、正解ではない。まず、テクストの意図というものがあるのかないのかがわからないという例がある。たとえば中原昌也。僕が彼の小説を初めて読んだときの感想は、わけがわからない、だった。当時、自分でも老獪な芥川賞選考委員みたいな感想だなと、自嘲するほど、自分でも嫌な感想を持ったなと思った。だがそれは、中原昌也が明確な意図を持って小説を書いていないからだということがわかると、至極当然だった。意図がないのだから、意図に沿うということは不可能である。また、作品が長くなると、もともとどういう意図だったのかがわからないという状態に陥ることがある。親指Pの修行時代を一読したときは、これは映子の物語だ! とか思っていたけれど、今読んでいるにはそんなことがあるわけなく、むしろもっと別の対象に向かって進んでいる感すらある。
小説を読むということは、必ずしも作者の意図、テクストの意図によって進むべきではない。むしろ、テクストを変形させることなくデッサンする必要がある。
僕なんかがデッサンをすると、必ずしもうまく書くことは出来ない。僕は平面状に鉛筆を立体的に立たせるという技術を持ちえていないし、見たまま書けといわれても長さの間隔や影の角度などが微妙にずれてしまうためだ。僕が見たままに書いていても、それは見たまま書かれたようには見えない。デッサンについての表現方法を学べば、いかようかはうまくデッサンすることが出来るだろう。それだけではなく、もっとうまくなることが出来るのかもしれない。しかし、それも度を越えてしまうといけない。デッサンが重要だからって書きまくっても、自分の絵をひとつも書かなければ、ただデッサンがうまいだけになってしまう。デッサンが得意である=絵がうまいというのは違う。
これは読書にも言えるのではないか。読書の場合は、まずデッサンするものを明確に確認する必要がある。つまり、記述を正確に把握する必要があるのだ。それから、デッサンを開始する。テクストが一体どういうものなのかを考察する。僕なんかは記憶力が乏しいから、これらを順に追いながらやる。つまり、テクストを読みつつ、これが一体どのような文章なのかを把握、解釈しているわけである。同時進行ではないが。さらに、僕の場合は止まりもしない。大抵の小説は、あまり淡白でなければ、このように読むことが可能ではあるけれど、こういうことをやっていると、書く文章が淡白になっていく可能性があるのでお勧めはしない。

そして、書くことは小説を読むことだ、ということを言った理由について書いていきます。
読むことはデッサンすることだ、ということに関連するのですが、デッサンすること≠絵を描くことではありますが、デッサンすること≒絵を描くことではあります。つまりは、デッサンも絵のうちに入るというわけです。もちろん、それは正確に行われる必要があるという制限下ではありますが。
ここで僕は、読書をデッサンに喩えているわけなのだから、小説を読むこと≠小説を書くことではありますが、小説を読むこと≒小説を書くことでもあります。しかし、これだけでは当然ではありますが、説明にはなってませんよね。
では小説を書くこととは、一体どんなことなのでしょうか。
僕が小説を書いてて感じたことは、ひとまずは自分の解釈が先に立つということでした。自分が何をどのようにして書きたいのか。僕なんかはここがうまく固まらず、あるいは何も固めずに書いて、そこからどう進めたらいいのかがわからなくなって投げ出していました。ストーリーをどのように進めたらいいのかわからないということは、意思が足りないということになるのでしょう。少なくとも、小説を書こうと思い、メモ帳やらterapadやらに小説めいたものを書き始めた時点で、あなたは作者になり、あなたは作品に関して権威を持ちます。あなたは作品のすべてを決定する権利を有すると共に、作品に対しての責任を負います。それが小説を書くということです。
このことをすぐ作者と結びつける人がいそうですが、結び付けてはいけません。作者と作品は別物です。「親の顔が見てみたい」という言葉は似合わないし、逆に僕なんかは反発を覚えます。なんで親が出てくるんだ。こちとら反抗期過ぎてんだよ、と。
ともかく、あなたは作品に対して権力を持っているので、ストーリーが決められない、どのように進めたらいいのかわからないというの言うのは、あなたのリーダーシップが欠けているからとかの理由立てをすることが出来ます。また小説を書いているのは他ではなくあなたなので、あなたが云々と呻いているだけでは、誰も小説を書いてくれやしませんし、たとえ相談に乗って意見をもらったとしても、キチンとパズルのピースが嵌るような続きが出てくることは、ほとんどありません。組み立て途中のパズルは、あなたしか見えないのです。
リーダーシップが欠けている、という風に書きましたが、あなたにその技量がないのではなく、たいていの場合はあなたが何もしたくないのです。また、小説を導くということはそれなりに疲労を伴うので、そんなめんどくさいことしたくないという側面も、ないとは言い切れません。あるいは、何をしたいのかが決まらず、とにかく小説が書きたいという、「恋に恋している状態」である場合もあります。この場合、自分というフィルターがうまく作られていないことが考えられます。
自分というフィルターとは、一体なんだろうか。
さっき、読むことはデッサンだということを言ったと思いますが、なぜデッサンする必要があるのでしょうか。もし写実的にやりたいというのなら、リアル系の絵を描けばいいし、それこそ写真でも撮ればいい。しかし画家は、デッサンをします。それは、カンバスの中に私たちが見ている世界(厳密に言えば画家の見ている世界)を表現するためです。知らないものを表現することは出来ません。そのために画家は目に見えるものを平面上に描き出すのです。同様に作家も、小説の中に存在するもの(もちろん、あなたが見ている世界に存在するものでも結構です)を知っておく必要があります。そうしなければ、メモ帳やらワードやらStoryEditorやらで小説を描き出すことは出来ません。
また、画家はあくまで一人で絵を描きます。画家は、己の絵を描くものです。いくら現実にあったものを絵画に取り込んでも、画家の手により絵筆で表現されているのであれば、それは画家の絵であり、誰の絵でもありません。ちょっと小説的に画家という言葉を使ってしまいましたがご了承ください。
いくらデッサンをしたところで、それはデッサンをした者のデッサンであるわけです。これが自分というフィルターです。人間の不可侵性という、中二病じみた言葉で表現してもいいのですが、ここでは自分というフィルターということで統一したいと思います。
画家は、画家自身が持っているフィルターを介してしか、物を表現できません。それは写真のように便利ではないし、労を費やすことでしょう。しかし、そのように表現するからこそ価値が生まれます。これは表現者すべてに言うことができるでしょう。表現するということは、それほど難しく、疲れるものなのです。だからこそ燃える。岡本太郎はそのように語っているのだと、僕には思えてまりません。

では、具体的にどのようにしたら自分というフィルターを作ることが出来るでしょう。答えは一番最初に書いてあるのですが、小説を読むことです。ラノベ志望の方ならマンガやアニメなども必要でしょうし、エンターテイメント系に進みたいと思っている方なら映画などでもいいでしょう。また純文学志望であるなら絵画とかの方向を鑑賞してもいいと思います。しかしまあ、垣根など存在しないので何でも取り込むほうがいいでしょう。
小説を読むことは、他の媒体にも通用します。そこで何が起こって――また何が表現されて――それが一体何を示しているのかを解釈する。しかし時々、わけがわからないという思いに駆られる作品に出会うことでしょう。これは大きなチャンスポイントなので、逃さないようにしていてください。わけがわからないから飛ばしておこうではなく、わけがわからないからこそ、とどまるべきなのです。
わけがわからないというのは、思考が追いついていない、また、開拓されていないという原因が考えられます。つまり、頭が追いついていない。これはどうしようもないことです。わかるわけがない。頭がそのように働いていないわけだから、解釈することが出来ない。しかしながら、自分というフィルターを補強するためには、なんとしてでも――原典を変形することなく――解釈することが必要です。解釈するということは、僕にとって、付箋をつけることに似ています。なんかこんな感じ、ということをポストイットに書いて、脳に貼り付けるのです。
解釈は、他人と似ていればいいというものではありません。できれば、他人と違うように解釈する必要があるのかもしれません。優等生ではなく、愚劣になることが必要です。そうすれば、自分が読み取れているのか、読み取れていないのかがわかりますし、いろいろなこともわかってくると思います。さらに言えば、愚劣になったとしてもそれにプライドを持ってはいけません。絶えずすべてのことを疑い、これはこうなんじゃないか、また、こうなんじゃないかと思うことが重要です。安心は、堕落です。

そんなことを書いてみたけど、なんか疲れたので放り投げる形だけどいったん終了。

銀魂からシンデレラへ

2009.02.05 Thursday 19:38

銀魂って、杉田って、いつからこんな僕男らしいでしょ、っていう声出すようになったの。
血が繋がっていなくとも絆の強い親子とか、もう笑わせんのかと。いや、胡散臭いんだよね。
血が繋がっている、繋がっていないって、どこにどういう風に関係しているのかわからないし、もし兄弟や親と血が繋がっていなくとも、なんともないという気がするし。なぜ本当の親だと愛情が注げて、本当ではない親だと注げないのだろう。こんなことを考えることすらおかしいと思えてくる。
「私はお前のことを本当の子供だと思って…」という台詞にリアリティを感じられない。むしろ、親になるという決意がなければダメなのではないか。要するに、「私がお前の親になるから」という台詞だ。こっちのほうが、まだリアリティを感じる。
大体、なぜ「本当の子供だと」思う必要があるのか。それは親になる大人が対象(つまり血の繋がっていない子供)を自分の子供だと思う必要があるからだろう。彼らは、親とは本当の子供に対してしか愛情を示さないとでも思い込んでいるのだろう。そう思われる所以は、たとえばシンデレラなどだろう。彼女の場合、読者は彼女が本当の家族でないから迫害されているという風に読むだろう。あるいは、そのように書かれている。だが、おそらく本当の理由は彼女が(家族の中で)抜きん出て美しかったからだ。男たちがイケメンに嫉妬するように、女たちが美女に対して嫉妬するように、シンデレラの義家族たちも彼女に対して嫉妬した。しかしながら、たったこれだけの理由で仕打ちをするにはあまりにもリアリティがない――と判断されたのだと思う――だからそこに血という、平常では意識しないような事柄を提示して納得させる。つまりは、妥協である。
このように読み方が変わると、シンデレラという物語の見方まで変わる気がする。美しさが正義であり、絶対的価値を持つ、という皮肉にも見えなくもない。
シンデレラでは、彼女は自分の美しさに気づいていない。気づいていたなら、いくらかの反発する台詞を言えただろう――しかしこれでは単なる昼ドラである。シンデレラの聖神性は、夢物語のようなストーリー展開に関する鈍ったリアリティにある。
鈍ったリアリティとは、「風が吹けば桶屋が儲かる」という類のものだ。もっとも、シンデレラなどの物語では「風が吹けば~」ほど鈍ってはいないが。つまりは、少々のリアリティのある飛躍であると、言えるだろうか。
シンデレラのストーリーでは、はじめにシンデレラが義姉たちによっていびられるシーンがある。それから彼女たちは母親と共に、王子様のいる舞踏会に行くことになる。
思えば、この時点からおかしいではないか。普通、王家と交わる機会というのは、特権階級を持つものたちしか持ち得なかったのではないのか。僕はこの分野に詳しいわけではないから、あまり声を大にして言えはしないが、もし前述のとおりだったなら、義姉、義母ともに、表面だけでもいい体裁を保とうとするのではないか。仮にも、「家族であったなら」。
だが、シンデレラがメイドであってもこの状況は成立しない。メイドとは、あくまで雇われの身ではあるが、あまりに状況がひどかったなら辞職することも可能である。
今ウィキペディアを見てみると、どうやら義母というのは継母らしい。義姉たちはその連れ子だった。


思い起こしたことがあるのでそれを書いてみる。この記事はとりあえずアップしておくー。
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