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烏有に帰した野原で

「 思いつき 」

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2024.05.18 Saturday 17:11

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純文学とはartであり、エンターテイメント小説とは萌え絵である

2009.01.11 Sunday 17:30

pixivからの思いつき。

pixivで公開されている絵のほとんどが、デフォルメされた、萌え絵である。これは疑いようもないだろう。現実に見てもらえばわかる。では、なぜ彼らは萌え絵を描くのだろう。
理由はきっと単純に、萌え絵が好きだからだ。投稿サイトにワナビが沸き返るのも同じ理由だろう。彼らはラノベが好きなのだ。
2chなどのイメージ=オタクであるのは僕の肌が感じた結果なのだけど、ネット=オタクという公式は、全面的ではないにしろ、当てはまる部分はあるだろう。コミックマーケットの規模の拡大には、ネットという閉鎖的なメディアの発達があげられるだろうし、アニメが深夜に移行したことも関係しているかもしれない。おっと、話がそれた。

投稿サイトに出入りしているからこういう、「純文学はオナニーだから無視していいですよねー?」というような質問をよく目にするのだが、それは単純にラノベというぬるま湯につかりたいだけなのだという風に思っている。あるいは、自分のやってることを正当化したい、とでもいうような願望が丸見えで、やっぱりダメだなぁとか思ったりする。

pixivの影響で絵を描き始めてみた。結果は散々である。もともと苦手意識があったからかもしれないが、絵を描くという行為は、やっぱり僕には不向きらしい。どうも、目に見たものをそのまま表現するというよりは、"そこにあるもの"を表現したがる傾向にある。
ちなみに、僕はartをやろうと思っているわけではない。artをやるならば、途方もないデッサンをしなければならないし、デッサンは僕のもっとも不得意とする分野だ。適正が違うのかもしれない。
しかしながら、絵の基本はデッサンである。キャラクターを描くときだって、身体の構造をちゃんと理解していないと、人物に見えず、結果として崩壊してしまう。

http://www.moee.org/

昨日、絵を描こうと思ってここを見たのだが、やはり僕には向いていないようだった。萌え絵についてはここに書いてあった。

http://dessin.art-map.net/technic/level0/index.htm

こちらはデッサンについて。

pixivの絵師たちは、デッサンを怠っているわけではないとは思う。純粋に絵がうまくなりたいと思っているだろうし、その情熱を感じ取ることもできる。しかし、彼らが出力するのは萌え絵なのだ。「しかし」という逆説を使ったが、ここに否定的な意味はこめていない。もし彼らを否定することになるのなら、東野圭吾や桜庭一樹を否定することになる。
なぜデフォルメするのか。それは、そちらのほうが親しみやすいということもあるだろう。日本人は特にその傾向が強いように思える。マンガは、その最たる例ではないか。マンガから派生したアニメ、そしてそれを発達させたのが、今のオタク文化という風に考えることも可能だろう。今ではどれだけ可愛いデフォルメができるのか、という目的意識さえ感じさせる。
だから、"二次元に逃避する"という言い回しになる。(オタク文化的な)二次元に、リアル(現実、写実)がないからだ。

そしてこのある種のデフォルメに、エンターテイメント小説も入ると、僕は思うのだ。オタク文化に染めてしまったのがラノベである。

デフォルメの作用は、もうひとつある。それは、わかりやすくなるということである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%A1

ここではユゴーの頭が広くなってるのだが、本文にもあるように、「絵画彫刻などでモチーフ特徴を誇張・強調した変形を加える表現手法」なのである。わかりやすくなる、というよりは、わかりやすく表現する技法だな。
エンターテイメント小説のキャラクターを見ていると、"要素の抽出"とかいう風に思えるのだけど、これもデフォルメされているからだろう。"要素の抽出"ということを説明すると、対象の持っている属性をそのまま抜き出したようなものという認識だ。
一つ前の記事で、エンターテイメント小説は読者に読ませたいという動機によって書かれるというような旨を書いたが、その工夫のひとつがこれだ。大体のエンターテイメント小説(特にラノベ)では(人間的に)矛盾を孕んだキャラクターというものは、ほとんど登場しない。断言できないのは、僕の読書量が少ないからである。
純文学にも、そういったデフォルメされたキャラクターというものはもちろん登場するが、デフォルメのされ方が違う気がする。うまく説明できないのも、読書量が少ないからである。

なんとなく疲れてしまったので一旦ここで閉じることにする。
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方法論

2009.01.11 Sunday 15:35

とりあえず思いつきの記事。

純文学とエンターテイメント小説は小説に変わりない。確か佐藤亜紀も言っていた気がするのだが、これがもし本当なら、純文学とエンターテイメント小説を同じ人物が書くことは可能ではないか。
まず、純文学とエンターテイメント小説の違いについて、勝手に述べる。
純文学作品について、僕は多くを語ることができないのだけど、型の決まっていない小説とでも言おうか。あるいは、文章だけ、内容だけで読ませられるものといおうか。まあ、そうではないというのであれば、きっとそうではないのだろう。ただ、エンターテイメント小説については明確に言える。読者のためにわかりやすく書かれた小説だ。これが前提条件になるだろう。純文学がわかりにくいというわけではないとおもうけれど、エンターテイメント小説とは、少なからず読者に重きを置かれている。何が描きたいのかというよりも、何を読ませたいのか。
とするのならば、なにも問題はない。エンターテイメント小説で使う、読ませるための原理を応用すれば、純文学は書けるのではないか。これはひとつの方法論のようなもので、書くに当たっての題材の加工、および考察を抜くことはできない。これはもちろん、エンターテイメント小説でも必要だと思うのだけれど。
なぜこんな風に思ったのかをフローチャートにすると、

読ませられなければ書いた意味がない

なら読ませられるように書けばよい

読ませるためにはどうするか

エンターテイメント小説は読ませる工夫が満載

エンターテイメント小説の読ませる工夫の原理を応用したら読ませられるかも!?

こんな具合だろうか。
正直言って、甘い考えなんだろうな。まともに小説かけたことのない人間の戯言だから。
そして今日もまた、何にもならないことをする。

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