pixivからの思いつき。
pixivで公開されている絵のほとんどが、デフォルメされた、萌え絵である。これは疑いようもないだろう。現実に見てもらえばわかる。では、なぜ彼らは萌え絵を描くのだろう。
理由はきっと単純に、萌え絵が好きだからだ。投稿サイトにワナビが沸き返るのも同じ理由だろう。彼らはラノベが好きなのだ。
2chなどのイメージ=オタクであるのは僕の肌が感じた結果なのだけど、ネット=オタクという公式は、全面的ではないにしろ、当てはまる部分はあるだろう。コミックマーケットの規模の拡大には、ネットという閉鎖的なメディアの発達があげられるだろうし、アニメが深夜に移行したことも関係しているかもしれない。おっと、話がそれた。
投稿サイトに出入りしているからこういう、「純文学はオナニーだから無視していいですよねー?」というような質問をよく目にするのだが、それは単純にラノベというぬるま湯につかりたいだけなのだという風に思っている。あるいは、自分のやってることを正当化したい、とでもいうような願望が丸見えで、やっぱりダメだなぁとか思ったりする。
pixivの影響で絵を描き始めてみた。結果は散々である。もともと苦手意識があったからかもしれないが、絵を描くという行為は、やっぱり僕には不向きらしい。どうも、目に見たものをそのまま表現するというよりは、"そこにあるもの"を表現したがる傾向にある。
ちなみに、僕はartをやろうと思っているわけではない。artをやるならば、途方もないデッサンをしなければならないし、デッサンは僕のもっとも不得意とする分野だ。適正が違うのかもしれない。
しかしながら、絵の基本はデッサンである。キャラクターを描くときだって、身体の構造をちゃんと理解していないと、人物に見えず、結果として崩壊してしまう。
http://www.moee.org/
昨日、絵を描こうと思ってここを見たのだが、やはり僕には向いていないようだった。萌え絵についてはここに書いてあった。
http://dessin.art-map.net/technic/level0/index.htm
こちらはデッサンについて。
pixivの絵師たちは、デッサンを怠っているわけではないとは思う。純粋に絵がうまくなりたいと思っているだろうし、その情熱を感じ取ることもできる。しかし、彼らが出力するのは萌え絵なのだ。「しかし」という逆説を使ったが、ここに否定的な意味はこめていない。もし彼らを否定することになるのなら、東野圭吾や桜庭一樹を否定することになる。
なぜデフォルメするのか。それは、そちらのほうが親しみやすいということもあるだろう。日本人は特にその傾向が強いように思える。マンガは、その最たる例ではないか。マンガから派生したアニメ、そしてそれを発達させたのが、今のオタク文化という風に考えることも可能だろう。今ではどれだけ可愛いデフォルメができるのか、という目的意識さえ感じさせる。
だから、"二次元に逃避する"という言い回しになる。(オタク文化的な)二次元に、リアル(現実、写実)がないからだ。
そしてこのある種のデフォルメに、エンターテイメント小説も入ると、僕は思うのだ。オタク文化に染めてしまったのがラノベである。
デフォルメの作用は、もうひとつある。それは、わかりやすくなるということである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%A1
ここではユゴーの頭が広くなってるのだが、本文にもあるように、「
絵画や彫刻などでモチーフの特徴を誇張・強調した変形を加える表現手法」なのである。わかりやすくなる、というよりは、わかりやすく表現する技法だな。
エンターテイメント小説のキャラクターを見ていると、"要素の抽出"とかいう風に思えるのだけど、これもデフォルメされているからだろう。"要素の抽出"ということを説明すると、対象の持っている属性をそのまま抜き出したようなものという認識だ。
一つ前の記事で、エンターテイメント小説は読者に読ませたいという動機によって書かれるというような旨を書いたが、その工夫のひとつがこれだ。大体のエンターテイメント小説(特にラノベ)では(人間的に)矛盾を孕んだキャラクターというものは、ほとんど登場しない。断言できないのは、僕の読書量が少ないからである。
純文学にも、そういったデフォルメされたキャラクターというものはもちろん登場するが、デフォルメのされ方が違う気がする。うまく説明できないのも、読書量が少ないからである。
なんとなく疲れてしまったので一旦ここで閉じることにする。
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