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烏有に帰した野原で

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イラストについて。

2009.01.24 Saturday 17:51

http://www.artjeuness.net/info/value.php

なんというか、ばかばかしい。
僕は絵画について五月蝿いというほどの知識を持っていないし、そんなに審美眼もないとは思うのだけど、これは思い上がりすぎだ。イラストはイラストであり、美術(=芸術)ではない。ライトノベルが文学たりえないのと同じだ。もしかして「明日への神話」を素通りしている人が、したり顔で「美術品」に仕立て上げているのか!? これは単純に驚きである。壮絶な知ったかで、鑑賞者(オタク)たちをあおっている。これはいけない。彼らはただでさえ自分を正当化したがるのだ。だからラノベと文学を比べたがる。
だいたい、芸術的(笑)価値というものをなんでありがたがるのだろう。価値というのは、ついてくるものであり、つけるものではない。例えばひとつの絵があるとする。その絵をほしい人がいる。もしひとりしかいなかったら、そこに価値は生じない(このとき生じる価値として、製作者の思い入れなどがあるが、客観的な価値について言えば、それは無効である)。製作者がそのひとりに絵を贈与すればいいからだ。では複数人いたらどうなるだろうか。絵は一品しかない。通常ならば、ここでオークションになるだろう。もっとも高い金額を出すと宣言した人が売買権を持つ。このときはじめて価値が生じる。元はといえば、絵の価値とはキャンバスだけである。
たとえば絵画の場合、作品と呼ばれるものは、かなり旧弊な定義だとお断りしておかなければなりませんが、一定の面積の上に配置された、色彩とマチエールを持つ線と面の集まりだ、と説明することが可能です。――佐藤亜紀「小説のストラテジー」から引用
絵の価値、という風に言ったが正確には絵画作品の価値である。どんな画家の絵であろうと、これは変わらない。そうであるのにもかかわらず、額縁を強調したり希少性が云々。笑わせる気かよwww しかも仕舞いには廃棄されるそうですwwwwww 価値はどこ行ったの?wwwwww
こうやって自滅しちゃうと逆に可愛く思えてくる。あははー、あははー。だけどやっぱり芸術的価値云々~と語っている以上はって話なんですよね。まるで自分を見ているようで怖い。
 
 
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感想。

2009.01.23 Friday 01:08

感想で、他人と同じだと安心するって、おかしい。
なぜなら、感想というのは「私」であったり「僕」であったりが感じた想いであり、それは絶対に不可侵である。それに、すでに目に見える形になっている時点で劣化している。劣化しているということは、必ずしも同じではないということである。これが僕の言う「言葉は浮遊している」ということだったりするけどどうでもいい。ともかく、感想が他人と同じであることで安心することはおかしいのである。
しかしながら、中には自分の感想に自信が持てない人がいる。良い例が僕だが(むしろ悪い例だ)、僕の場合は、自分が文脈を間違えて読んでいるのではないかという不安がある。また、自分が変な風に思われるのではないかといった不安もあるのかもしれない。そのような不安は潔癖症的思考である。

あー、またなんか飽きてしまった。中級もクリアできなかったし、思考の持久力が落ちているのかもしれない。
バニーボーイとネイノーさんっぽい小説が書きたいと思った。

水掛け論と天秤

2009.01.23 Friday 00:49

昔、ぐるぐる99(ナインティンナイン)のコーナーで、水掛け論というものがあった。メンバーのうちの一人が質問をし、答えを○×で選んで、少数派には手に持ったグラスの水が掛けられるというもの。椅子が倒れて水が掛けられるため、久しぶりにyoutubeで見てもすぐに思い出せた。水を掛けられた後、メンバーはなぜ自分がそのような判定をしたのかを明かす時間がある。大体の場合、笑いはここから生まれる。このコーナーのキモは、水を掛けられるときのインパクトと、少数派の必死さだという風に、僕は思った。もちろん、違うのかもしれないが。
例えば、坂下千理子とサトエリが出てたときなんかは、坂下千理子の女っけのなさ(色気のなさ)が攻撃されていた。サトエリの苦し紛れな「千理さんにもたくさん武器はありますよ」といった発言は、いかにも権力者ぶった発言で引いてしまう。詳しくはyoutubeにupされている動画をご覧になられればいいと思うのだが。

問題は、女は女らしくならなければならないのか、ということだ。言い換えるならば、女は武器を持つべきなのか。はっきり言って、考えるまでもない。武器なんてなくていいのだ。武器こそ、権力者の権力者たる権力である。もっとも、バラエティ番組なんて権力者増殖番組だから、問題に出すほうがおかしいのだが。

常識を信奉している人は善悪に対して、常に天秤にかけて物事を判断していると思う。善悪、という風に書いたが、これは良い悪いという言葉のほうが近い。そして彼らの持つ天秤は、その重心が必ずずれている。

と、書いたところで飽きてしまうわけなのだが。

悪癖。

2009.01.21 Wednesday 23:50

私は羊です。
私は羊飼いによってしか従うことができません。
しかし羊飼いよ、あなたはなぜそうも私の前にさまざまな姿で現れるのですか。
私は、どの羊飼いについていけばいいのかわかりません。

私は奴隷です。
私は主によって従うことしかできません。
しかし主よ、あなたはなぜそうも私の前にさまざまな姿で現れるのですか。
私は、誰についていけばいいのかわかりません。


――――――――――

僕の悪癖のひとつに、わかった気になるというものがある。クイズ番組を見ているときであったり、会話の途中であったりするときに出てくることが多いと思う。例えば、上に書いてある文章などだ。
上に書いてある文章は、どっちにしろ意味が同じものになる。キリスト教の聖書解釈では、羊とは人間をあらわす。かわって奴隷というのは黒人奴隷のことで、彼らは奴隷時代、教育を受けさせてもらえなかったという。物を知っていることが権力の象徴であった時代の話である(まあ、ここら辺も十二分に判った気になっている文章だけどノリで書いてしまうオレ)。
もはや僕には同一のものにしか見えないのだが、この二つに共通していることは、"知らない存在である"ということだ。
キリスト教的聖書解釈において(まあ、聖書に書かれてることなんだけど一応)、なぜ人間が羊に喩えられているのかといえば、それは単純に、「頭が足りない」からだ。

ヒツジは非常に群れたがる性質をもち、群れから引き離されると強いストレスを受ける。 また、先導者に従う傾向がとても強い(その先導者はしばしば単に最初に動いたヒツジであったりもする)。 これらの性質は家畜化されるにあたり極めて重要な要素であった。

Wikipediaからの引用だが、聖書当時の世界では、確かにこのような性質を持っていたら「頭が足りない」という風に思うだろう。

さて、微妙に順序がぶれてしまってどうしようかと思っているけれど続行します。
これのどこが、「わかった気になる=しったか」なのかといえば、ここから進んでいないというところだろう。そうなのである。この話は、たったこれだけで何の意味も持たない。「キリスト教の教えってつまりはサド・マゾなんだぜ!」っていうことの証明にも使えるかもしれないが、あまり強くないだろう。羊と羊飼い、奴隷と主の関係が同じであっても、何を語れるということはないだろう。労働者と資本家、農民と殿様の関係とは少し違うんだぜ! 程度のことは言えるかもしれない。
むしろ、語れないのではなく、語る気がないのだ。前の文章の主語が抜けているが、これはもちろん僕が、である。僕はこのことについての原因究明ができる。どちらかといえば、こっちのほうが得意なのだ。

僕という人間は、仔兎のようなもので、疎外感を感じることを嫌います。そして、話題から少しの疎外感を感じると、噛み付くようにとっさに言葉を吐く。それは自分で思っている、話題に最も近い「回答」なのですが、大体において外れてしまう。外れてしまうと、「何知ったかしてんだよ!」というような非難であったり、「わかってない」とかいう言葉を突きつけられることになります。しかし、少なからず当たることもあるので、思わず発言してしまう。それが「解答」なのではないかと思いながら。

僕が自分の記憶に自身が持てていないということも、ひとつの理由として追加することができるだろう。あるいは、こちらのほうが信憑性が高いのかもしれない。

僕は自分の記憶に自信が持てないので、話題に上がった、「どこかで聞いたことのあるような」もの、ことを、つい口に出してしまうことがある。それは大体において当たるのだが、外れることもある。外れてしまうと、「知ったか」になってしまい、非難されます。

問題はここから先で、僕はどうやら、共感を得たらそれ以上進まないようだ。つまり、わかったら、わかったのだ、という風に考えがちなのである。これは細野さんの言う、「バイアス」であり、「ゆがみ」だ。
なぜこんな風になってしまうのか、そして、ここからどう抜け出せばいいのか。これについて考えろといわれても、僕は動けない。そりゃそうだ。考えていないのだから。僕の論(笑)や、言葉というものは、大体において思いつきだ。悲しいまでの事実。将棋などでもそうなのだが、僕には思考の持続性、思考の体力が、どうも欠けているようなのである。いつもどこかせかせかしてて、自分でもそんなに急いで何をする、という風に思うのだが、結局観測どまりで、思考が展開されない。恐ろしい事実。

というわけで、マインスイーパの上級やってきます。
 

未推敲 記述の運動性がわかりゃん。

2009.01.20 Tuesday 22:54

 Nは、ワンガリ・マータイについての英文が書いてある黒板を見ずに、下を見ながら、後ろから掛けられた声に応答した。「あぁ、そうだな」
「んだよ、お前本当に人の話きいてんのかよ」
「聞いてるよ。確かに少し寒いよな」
下を見ながら言うNに対して、同級生は少し腹を立てているようだった。もちろん、彼もまともに授業を受けている場合と受けていない場合があって、受けていない場合、彼も下に目を向けて、ゲームに興じているのであった。Nはそのことに対してなんの感慨も持っていなかった。だが、いざ自分が机の下でゲームをするとなると、警戒心のアンテナをできる限り飛ばして、見つからないようにした。おかげで対戦中だったりすると負けるのが常だった。
日は、まだ影を作っていなかった。午前中、3時間目の英語Ⅱ。通称リーディング。この時間帯に寝る生徒は少ない。なおかつ、英語Ⅱとなると殊に少なかった。教壇の上に立ち、教卓に腕を突いて体重を掛けている、メタボリックシンドローム気味の女老教師は、単純に面倒くさいのだ。自分がこの学校の特進コースを教えていたことを誇りとして考え、そのことで、Nたちのいる総合コースを下に見ている節があったのである。だが、このことに気づいたのはNだけで、他のクラスメイトたちは暢気に、うぜーなーとか思いながら英語Ⅱをしのいでいた。
右側の開いた窓から、冷たい風が送り込まれてくる。凍てついた、という形容詞が似合いそうなくらいの冷たさだった。恐るべきだ。思わず窓を見ると向こう側は晴れている。雲はほとんど白く、のほほんと浮かんでいるだけだった。
「露天風呂みたいだ」
そんなことをクラスメイトが言う。Nはなんとなく納得した。それまで部屋にかかっていた暖房によって暖められた空気が、あけられた窓によって入ってくる冷たい空気に押され、窓の近くでは、暖かい空気と冷たい空気の層ができた。Nもその"露天風呂"を堪能することができた。だが、Nにはそれが良いことなのか、悪いことなのかがわからなかった。
Nは後ろを向いて、同級生がちゃんと英文を書いているかどうかを確認しようとした。書いてあったらそれを写そうという腹積もりだ。だが、同級生のノートはほとんど白紙だった。
「あれ、お前書いてないのかよ」
「書いてないよ。それがどうかした?」
同級生は、なんでそんな質問をしたのかわからないとでも言うように表情を消した。
「なんでもねぇよ」
そう言ってからまた前を向いて、少し黒板を眺めてから、改めて本を読み始めた。まったく、英語Ⅱといい、この小説といい、つまらない。

Nはよく、自分のことを不感症だと思った。さまざまな出来事が、限りなく身近で起きているのにかかわらず、Nはそれを感知しておきながら、何の感慨も持たなかったからだ。
たとえば、帰ろうと階段に向かおうとすると、Nのクラスメイトの女の子が、彼氏である先輩に抱きしめられながらキスされていた。唇と唇を触れさせるだけのキスではなくて、舌でも入れてるのではないかというほどの緊張感があった。Nはそれを見ないふりをしてその横を素通りした。そのことについて考えることはやめていた。Nは、自分にはまだ早いと思った。
学校から駅へ向かう道筋で、小学生を見た。赤いランドセルと黒いランドセルの一対で、並んで歩いている。様子を見ていると、どうやら赤いランドセルを背負った子がうつむいていて、黒いランドセルを背負った子が、それを慰めているようだった。Nはそこを素通りした。Nは歩くのが早いのである。
Nは駅の改札から入って、自分の路線のエスカレーターに乗った。その前には中年のサラリーマンがいた。彼は、少し長いエスカレーターに乗っている間、4回は時計を見ていた。だが、駆け上がろうという風にしているまでもなく、ただ、エスカレーターの行くままになっている。サラリーマンは、エスカレーターから降りると、そのままNとは反対側のホームへ向かった。Nのホームには、まだ電車が来ていない。
それからNがつまらない小説のページを2回ほどめくると、電車が滑り込んできた。それに乗り、隅の席を探したが埋まっていたため、適当に座席に座ることにした。
あと5~6駅で最寄り駅だ、といったところで目の前に、紫色のダウンを着た、茶髪でウェーブがかかった女の人が、Nの前に立った。Nは軽く動揺したが、本を読むことに没頭することにした。彼女の靴はブーツだった。
彼女は時々ポケットをあさった。Nは過敏に反応したがる心を抑え、観察を試みた。だが、何も得ることはできなかった。彼女がNより年上で、それなりに綺麗な顔立ちをしているということくらいしか。
いよいよ降りる駅になって、Nは立ち上がった。そして電車から降りようとすると、後ろから声を掛けられた。わかい、女の声。「あの、落としましたよ」紫のダウンの女の人が、Nの本に挟んでいた青いしおりを持っていた。彼女の後ろで、電車のドアが閉じた。



――――――――――

小説のストラテジーを読んでみたが、実践されている気がしないのは気のせいだろうか。
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