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烏有に帰した野原で

私設ブログ。 此処で起こったことは此処にコメントしてください。お願いします。

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性欲ほどあてにできないものも少ないのでは。

2009.01.19 Monday 00:34

気づいたら恋人を探そうとしていない高校二年生。
今日もまた、形式的なセンズリを繰り返す。
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絵画、小説の運動性。

2009.01.19 Monday 00:16

渋谷で、京王線から東横線に乗り換えるときに、岡本太郎の明日への神話を見てしまった。
一言で言い表すなら、スゴイ、だろうか。ただ、スゴイ、だけでは表しきれない。あるいは、正確に表すことなんてできない。明日への神話は、腐っても明日への神話であり、僕の言葉は、腐っても僕の言葉である。
僕は明日への神話を見たとき、思わず立ち止まってしまいそうになった。展示場所が、渋谷駅ではなく、巨大なホールだったら僕は立ち止まり、ただひたすら圧倒されていたのかもしれない。現に僕は、東横線の改札に入るまで、口がポカンと開いていた。絵画でこんな経験をしたのははじめてだ。あんなのは絵ではないとすら思う。今まで心に描いていた絵ではない。動物だ。生きている。乱暴に捕食している。拳を振るっている。あるいは、棍棒のようなものを振り回している。肉体を超えた力を、乱暴に肉体に向けている。殺意か、怒りか。
だが、それだけではない。ここに書いてある文章は明日への神話のイメージを誇張してあるだろうし。ある種の静謐も、含まれていたように思う。僕は心のどこかで興奮していながら、また、冷静でいた。
僕が一瞬座って鑑賞したいと思ったところから、発展する。僕は、落ち着きたかったのだ。落ち着いて絵を鑑賞したかった。じっくりと見たかった。だが、それはなされない。僕は思わず目をそらしてしまうだろう。明日への神話へ没頭することは、おそらくない。非常に疲れるのだ。あの絵に接することが。ところどころを見ているだけで疲れる。おそらくは、これこそが落ち着いて見ていることができないということなのだろう。

小説の運動性について。
小説のストラテジーは買うことに決まった。絶対買ってやる。買って、ぼろぼろになるまで読んでやる。小説の戦略をモノにしてやる。

絵を読むということについて。

2009.01.16 Friday 23:45

岡本太郎の今日の芸術を読んでる。面白い。面白いけど、これは面白いで片付けていはいけない本だという風に自分で思っている。
それに関連してか、今日はちょっと岡本太郎作品集なるサイトを見つけて見てみたのだけど……どうも絵を読めている気がしない。ここでの読める読めないというのは、本の読める読めないと似ていて、あるいは、物理的な読める読めないよりも、感覚的な読める読めないに近いと思う。

さて。
某I氏と少しお話したのだけれども、なんだか頭が混沌として結局何が起こったのかあまり良くわかっていない。こういう状況は良くあるのだけど、やっぱりやな事態だという風に思う。インプットしても、それが身になるというような気がしない。その場でわかったようになってしまう。僕は記憶力が弱い。だから、どのような論理で、だとか、例示だとかに対して、無視してしまう。あるいは、結論まで読んで、結局なんだったのかがわからなくなる。間が抜け落ちたとかのわけではなくて、論については(おそらく)楽しめているけれど、そこに存在している論の、目的部分についておそらく興味を失っている。
僕はひどく興味を失う。いろいろなさまざまなものについてだ。いろんなものを体験して、コレはいい、だの、コレもいい、だの、思うのだけど、結局のところ何も残らない。楽しさはわかる。読書も、卓球も、将棋も、シナリオ作りも、楽しい。だけどそれだけだ。楽しいというところで止まってしまう。何かをつかもうと思うと、途端に興味を失う。ひどく臆病なのだろうか。変わってしまうことが怖いのだろうか。
だから僕は何もつかめていない。何もかわりゃしない。知識だけがたまっていく。それは何にも生かせない。自分で自分をどうにかしたいと願う。だが、それは願わない。普通に考えてみたらわかる。自分は自分を救うことはできない。それは自分が自分であるがゆえに。
なぜ先へ進もうとしないのか。なぜ先へ進めないのか。先へ進むことを拒絶するのか。楽しいことがわかればいいじゃないか、ではダメなのだ。

題名からずれてるけどまあいいや。
経済学部なんて面白そーだなーとか母親と話した。そして国立ってやっぱり無理なんじゃねぇかとも。
改めて思った。僕はやりたいことがたくさんあるのだ。
まず出版関係の仕事についてみたい。DTPとかやってみたい。本当は編集者がいい。作家にもなりたいし、マンガ原作だってやってみたい。演劇もやってみたい。照明だって極めたら面白いかもしれない。音楽だってやってみたいし、ものづくりも面白そうだ。だが、その思いはなんてことがない。お年玉の半分ほどをブックオフにつぎ込む程度だ。まるで自分がなりたいと思っていることを恥じているのかのように、「作家志望」としての接触ができない。そして、何もできなくなる。
僕はずっと子供のままだ。ネバーランドの住人。作家は大人だ。芸術家も大人だ。パフォーマーも、それを支えるスタッフだってみんな大人だ。僕はピーターパンとしてネバーランドで遊んでいるだけだ。それではいけない。僕はウェンディを犯さなければならない。ほかのすべての男の子たちを殺さなければならない。ネバーランドでは、ほかの仲間たちを殺さないから子供でいられるのだ。仲間なんて捨てちまえ。ウェンディを自らの手の内に収めろ。それが大人になるってことだろう? お前の望んでいる本当の道は、そうじゃないのか?

そうやって奮い立たせても、暖簾に腕押し。

自殺について

2009.01.15 Thursday 01:10

2chの自殺志願者たちを見て、結局仲間がほしいだけなんじゃないかという風に思えてならない。
まず、死にたいということを発信する意味がわからない。
もし本当に自殺したいなら、完全自殺マニュアルに書いてある通り、見つからないことが第一だ。発信することによって、少なくとも警察には身元がわかられてしまう。それでも彼らは発信する。もちろん、発信なき志願者もいるのだろうけれど。

さて、「完全自殺マニュアル」を見つけてきてしまったからそれについて。
まあ、今の日本はマスコミに洗脳されてしまっているから「完全自殺マニュアル」についての評価ができていないのだろうと思うわけなのだけど、大体において、たとえばネットにいる人の中で本当に死にたいという風に思っている人はどれだけいるのだろう。本当のことを言えば、僕は回答を持っていないし、回答を知りたいとも思わない。どうだっていい。
でもひとついえることはある。自殺サイトで会ってレンタカー借りて練炭自殺とか、硫化水素だとか。ああいう、ネットを主体として広まった自殺方法によって死んだ人は、愚かである。まさにウェルテル効果だ。何を考えているのかわからない。
みんなと一緒なら死ぬことができるかもしれない……そんな人間に自裁なんて許されるわけがない。硫化水素ならすぐ死ねるのか、やってみよう……なんて気持ちで死を体験しようと思っている人間には、それこそ死がふさわしい。
結局のところ、自殺が自分を殺すという風に書くということを理解していないようにしか思えない。

僕はあえてマスコミや日の当たっている部分に対して書いたけれど、あくまでもそれは批判するに足るからである。

僕は自殺に関しては常に肯定的な意見を持っている。小学生のころ武士の切腹に惚れ、中学で新撰組にはまった。というか、全体的にどのように死んだのかについて、興味が強かったように思える。
だからなんだという話なのだけど、完全自殺マニュアルは、まるで僕の考えを本にしたようなものだ。
結局、自殺志願者たちは、死ぬことよりも、死ぬことを考えていることに固執しているのだ。だから、死ぬことを眼前に出されると、おそらく参ってしまうだろう。あるいは、「いつでも死ねるんだという風に安心する」(Amazonレビューより)
僕は、この自殺問題に関しての責任は、マスコミにあると思う。なぜなら、マスコミに生息している人間たちは、命を大切なものだ、という風にしか体面上、言えないからだ。そしてそういう輩の影響を受け、いかにも自殺問題に関心がありますというようなやつが2chに書き込む。僕からしたら、あまりにも痛々しくて目を覆いたくなる。
何でそんなにして自殺を否定したがるのかがわからない。たとえば、自殺ドミノだとかいう本があるけれど、あれは自殺が起こったことに関しての周りの反応を描いたものだ。僕はこういう思想には反対する。そんなのは結局、消極的な発想しかとめることができないのだ。あるいは、日本の自殺志願者が消極的だからかもしれないが。僕は自殺を消極的な行動だとは思っていない。そんなものなら、するな、である。思うな、である。権利がないのだ。お前が決めることではないだろうという人があるかもしれないが、自殺とは自分を殺すということなのだ。自分で死ぬということではない。あるいはこういう風に捉えるのが一般的なのかもしれないが、それはやはり狂っているという風にしか思えない。
日本にはもともと自殺という文化があった。それこそ、戦乱においての自殺は象徴的だろう。平安の終わり、源平合戦においての平家はついに三種の神器を手に入水心中を果たした。また戦国時代、城を攻め落とされた殿様は必ず自害した。江戸時代末期、新撰組はある規律を定めた。「士道にそむくまじき事」また、「これにそむいたものは切腹を申し付ける」これによって幾人かの人間が切腹した。あるいは太平洋戦争末期、沖縄の集団自決やサイパンのバンザイクリフ。それに、特攻隊。
もちろん、これだけで自殺という文化があったというのは早計だろうとは思う。だが、日本は過去、このような死とかなり近い位置にいたのだ。たとえ彼らには身分があり、今の私たちは平等であるという差があれど、そういう問題を持ってくること自体が消極的といえるのではないか。

自殺したいなら今すぐホームセンターに行って来てロープを買ってくればいい。きっとホースでもいける。とにかくひも状の、頑丈なものを持ってきて、適当につるすところを決めて首を通し、足場を蹴ればいい。その勇気がないから、完全自殺マニュアルを読むのだろう。自殺ドミノを読むのだろう。読むなら読め。悪いことは言わない。あなたは死なない。

コメント返信

2009.01.14 Wednesday 23:25

コメントが残ってたのでここに反応をのこしておこーかなー、なんて。

ものの一側面しか見ていないのは前々から言われている通りなのでそうでしょう。まあ、こうして開き直ってしまっているから、修正されるかどうかの自信はありませんが。
うーんと、某ゴーフルさん(ぐぐったらわかる)との論争もどきのときは、単純に理解してもらおうという意図のみで発言していました。それが行き過ぎてしまった面があったのかもしれませんが。
ちなみに言えば、「オレが正しい」というよりは、「こういう風に見えるんじゃないか」という方向に焦点があります。それらは全て思い込みで、自分の頭の中の奇妙な回路によって生まれてくるものだから、穴は当然あるでしょう。逆に言えば、他人がどう思うかは想定外である。んまあ、結果的に「オレが正しい」になるのかもね。プライドは自分でも嫌気が差すくらいあるし。
ここに書き残している文章、情報に関しては特に調べ物をしてどうこうということをやっていません。
基本的には自分がどう思ったのかを中心にかいてます。S状結腸にたまるものがたまったから排泄するのです。
だからこういうものに関しては無責任です。それは自分でもわかる。

責任が取れるような作品は、いまだ書けていない。結局僕は怠惰なのです。
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