日本語シリーズが面白すぎる。
何故今ラーメンズなのかというと、一重に『ヒレハレ草』を読み始めたからだ。
『ヒレハレ草』にラーメンズが紹介されていたわけじゃない。
本の雑誌の「作家たちの読書道」で北村薫の記事をちょっと覗いたとき、ラーメンズが彼の教え子だったというのを目にしたからだ。
そしてwikiで見て、今ネタを見ている。
やっぱり、面白い。
彼らのネタにしているものは、抽象的なイメージであると思う。
特に日本語シリーズは、そういうものと、逸脱しているものの組み合わせで出来ているような感じすらある。
例えば、彼らに掛かれば、北海道の住民の半分はクマになり、もう半分は蟹になり、キャッチフレーズは「試される大地(田中邦衛のマネをしながら)」になる。
こんな調子でずっと続いていく。
もうダメだ。腹筋崩壊なんかじゃない。肺が壊れる。
今の今までラーメンズというコンビの破壊力がわかっていなかったのだけど、きっとコアなファンならわかってるんだろうな、と思う。
でもオレは今知ったのだから、今の感想を残すしかない。
というわけでそれなりの感想を残す。
きっとオレと同世代の人間の嗜好だと、はねるのトびらに出てる芸人とか、しゃべくり007に出てる芸人あたりとかがすきなんじゃないだろうか。
あの人たちの特徴は、トークが上手いということだ、と思う。
もちろん、太田光もトークが上手い芸人だろう。ラーメンズだってそうかもしれない。
だが、ラーメンズが明らかに違うのは、正攻法で笑わせているという点だ。まるで演劇を見ているようだ。
これはラーメンズだけじゃないのかもしれないが、今のところはそういうコンビをオレは見ていない。
コントが上手いとされているアンジャッシュでさえ、流れが強引だな、と思ったほどだ。
バナナマンの場合もコント然としているように見える。
少なくとも、日テレ、TBS、フジテレビなどに出ている芸人たちでは、彼らには勝てないだろう。
勝てない、という表現はあまり好ましくないのかもしれないが、少なくともバラエティ番組で身体を張って笑いをとってるような芸人たちよりは優れていると思う。
あれがイジメの発端ではないかと考えている人もいるらしいし。
爆笑問題も見る。
太田のネタの根本にあるのは、現実のおかしい部分だ。
だからこそ彼のネタは毒舌といわれるのだろう。
田代と久本が司会をしている、90年代の番組の漫才を見ているのだけど、彼はおかしいことをおかしいというわけじゃない。
おかしいと思うところを、それこそネタにしているのだ。
そして、それをネタだけに留まらせない。
ある意味でこういう部分は小説的だなぁと思う。
漫才という一つのショウを、太田光は見せてくれる。
小説もひとつのショウであるべきだと思う。
太田光のネタは、オレにしてみたら書きたいこと、シーン、状況、テーマだ。
太田光の場合は、とにかく連想をする。
例えば、犯罪の低年齢化から大人が子どもになってしまったIfを繋げる。
そしてそのIfはイメージから逸脱しない。ココらへんのさじ加減とかにも、センスというのはあるんだろうと思う。
んまあ、どっちにしても、ポピュラーを理解しなければ、人を笑わせることが出来ないということだ。
オレなら、なんとかオタクたちを笑わせることが出来るかもしれない。
だが、そんなことができてもそれはマイノリティに対してしか発揮されない。
それに最近はオタク文化からも離れ気味だ。
だからもう笑わせることもできないかもしれない。
それほど、人を笑わせるのは難しいということだ。
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