弟が、僕にゲームを見せてほしいと言うことがある。
「なんで?」
「なんで?」
僕は弟がなぜゲームを見せてほしいかということに対して「なんで?」と聞き、弟は僕の「なんで?」ということに対して「なんで?」と言ったのだろう。価値観の相違というか、そういうものが見えてくる。
昨日ギルドチャットで恋愛の話になった。その話を聞いていて思ったんだけど、あながちケータイ小説とかドラマとかって、現実準拠なんだなというようなことだった。あるいは、その逆なのかもしれない。もしそうだったら、すごいことだ。テレビドラマが、若者の頭脳を洗脳したわけだから。
僕の中では、月9も赤い糸も恋空もセカチューも昨日聞いた話も、ほとんど一くくりにしてしまいたくなるのだけど、そういう恋愛だと、類型化されているように思える。クラスメイトや後輩なんかは、携帯電話にプリクラ貼ってるし、凄く熱烈に恋愛してるように見える。だがそれは、決められたレールに沿って走っているようにしか思えない。
というのも、月9やらケータイ小説やらに流れている雰囲気が、そのまま恋愛話に受け継がれているからだ。だから、僕はその手の話を聞いても、どこかドラマじみてるなー、とか思ってしまう。
僕はそういう恋愛ができそうにない。枯れているというわけではないだろうけど、好きになる、恋人になるということは、一緒にプリクラとったり貝のように握り合わせたりセックスすることに限らないはずだし、もしそれだけなのだったら、僕は恋愛をしたいとは思わない。というより、そんなものの価値がわからない。それをしたらどうなる? まさかそれが恋愛の形なのか? おかしい。まったくもっておかしい。
というのも、それは僕が松浦理英子読んだり、江戸川乱歩読んだりしてるからかもしれんが、もしそうでなかったとしても僕はただただ畏怖するだけだ。信じられない。単純に。リアリティもなければ、それがリアルだと認知するのも難しい。まるで別世界の話に映る。
しかし、みんなはそういう話をする。こわい。
なんでもっとスマートに恋愛できないのだろう。なんでわざわざ目に見える形でしか人を信じられないのだろう。これも脳化なんだろうな。もっと獣みたいに大人しく恋すればいいのに、わざわざ燃やそうとしているように見える。だって、恋愛に必要なものって、心だけでしょう? ロマンチスト風に言えば。自分がどう思っているか、また、相手が自分をどうおもっているか、それを信頼しているか。そこのつながりさえわかれば、あとはどうでも良いのではないか?
けど信じられないんだろう。脳化が進んでいるから。獣的な感覚ではなくて、頭で恋をしたがる。だから、相手が自分をどう思っているかが不安になるのか。すげーな、養老。だから、リアルよりもリアリティのほうに傾くし、プリクラとか、メアドとかで自分たちがつながっているよね、ということを確認したがる。HYの366日なんかは、願望なんだろう。それだけ人を信じられたらいい、という。
怖いくらい覚えているの あなたの匂いや しぐさや すべてを
おかしいでしょう? そう言って笑ってよ
別れているのにあなたのことばかり
つまりは、これほど狂おしくなりたいということだ。執着したいということだ。けれどもそれができないからこうして歌詞として書かれ、赤い糸の主題歌となる。トキが過去の絵画にほとんど登場しなかったのと、まったく正反対の理由だろう。
だが、僕にはまったくこんな気持ちを理解することはできない。「おかしいでしょう?」という問いに、「おかしいよ」、と答えたくなる。閉口なんてできるか。気持ち悪い、と言いたいわけじゃない。いや、気持ち悪いんだが、それはべったりと執着してるからではなく、これを感動的だ! という人たちのほうだ。
最近の恋愛映画(セカチューとかタイヨウのうたとか赤い糸とか)は大抵泣かせるために作っている。そこに価値の重きを置いているようにさえ見える。だが、それはそういうニーズがあるからだ。恋して、自分を徹底的に相手に埋没させたいからだ、そして、それをいい思い出としたいからだ。まるで願望を映し出している。だからこそ、人気が出る。怖い話だ。恋人が死ぬことを、多くの人が望んでいるのである。
手をつなぎたいとか、キスしたいとか、セックスしたいとかいう欲望は、確かに僕の中には存在するのだろうけど、僕はそこにリアリティを見出していない。実際に自分がそうなるのだ、ということを意識するだけで怖くなる。まるで、死を考えたときみたいに。
だからこそ、恋をしたい、と願う。類型化できるような恋ではなくて、もっと違った形で。
Break throughしたいから。