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烏有に帰した野原で

私設ブログ。 此処で起こったことは此処にコメントしてください。お願いします。

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文学的。

2009.03.13 Friday 01:25

MEN AT WORKという、山田詠美の対談集を買ってきて、読んでるのだけど、大沢在昌との対談の中で、ある話が出てくる。ちと引用。

山田 あるときの恋愛の相手は外国人だったけど、私より三十歳ぐらい年上の人で、「別れる」といったときに、ご飯食べながら、その人泣いてたのね。私の悪いくせなんだけど、文学的だなって思っちゃった(笑)。
大沢 それ作家になる前、それとも後?
山田 だいぶ前。目黒でとんかつ食べてたんだけどさ(笑)。
作家になる素質があったのかどうかわからないけど、彼が「豚肉はちゃんと火を通さないとだめだよ」って言うから、「火を通したものって何でもおいしい死骸になるのよね。熱いから」とかそんな会話を交わしてたわけ。
それで、彼が言った言葉というのが「僕はドラッグとか一切やらない人間だけど、日本に来て、まさかドラッグをやるとは思わなかった」って……。
大沢 文学的というよりキザだね(笑)。
山田 文学的といえば、バイセクシャルの男性とデートをして、そしたらその男性を愛する真性のゲイの男性がついてきたんだけど、彼らは肉体関係を持つことが、どうしてもできないのね。私を間におくことによって二人はインティメンイトな空間をつくっていた。「僕もそういうふうにやれたらホントに幸せなのにな」って言いながら……。
大沢 それは、文学的だね。

ここで僕的にははてなが浮かぶ。まずひとつに、別れるって言ってご飯を食べながらなく男は文学的なのだろうか。それから、「火を通したものって~」というくだりも文学的なのだろうか。そもそも、何を基準にして文学的であるのか、そうでないのかを判定しているのか。
僕は、確かに文学的なものというものをわかっていないだろうと思う。自分で答えを出すことができない。笙野頼子は、「文学とは小さい自分を大きく振り返ることだ」というようなことを言ったようだけど、どうもしっくりこない。
山田詠美という感性自体が、温故知新的なものであるから、仕方がないのかもしれないけれど、というより、文学的という指標が個々人によるものだったら、こんな問題を持ち出す必要がない。検証する必要がない。検証したところでそれは山田詠美の文学観であって、何の参考にもならない。「誰が正しいのかではなく、何が正しいかだ」
あー、なんか答えでたしそろそろRSが気になってきたのでこの辺で終わろう。

そういや、いまだに中原昌也が疑問だ。誰か解説してくれる人を求む。
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非婚同盟――近代の匂い香る現代のフェミニズム

2009.03.10 Tuesday 14:23

なんつーか、キメードラマ。
全体的に横溝正史のドラマを見てるようで、なんだか気持ち悪い。
会話会話の間とか、台詞使いだとか、キャラクターの属性だとか。
そもそも目的が良くわからない。
女性は皆立ち上がるべきだーって、西洋の思想に影響されたのかどうか知らないが、そんなのはカルト宗教を作るのと同じような具合で、結局何も変えることはできない。
ただ単純に、そう訴えているだけというのなら、なぜ共感者が出てくる? このブログに共感者が出てきたことは一度だってないと思うのだけど。
共感者を作るということは(キャラクターとしてでも)難しいと思う。共感者は自分であってはならない。つまり、完全な意思疎通ができてしまってはいけない。完全な意思疎通ができるということは、「他者」という原則を無視していることになる。まあ、たいていの人は無視しているものだけど。さらにいえば、このドラマは無視している人たち向けに作られているわけであり、そもそも僕は"視聴者"ではない。
こういうドラマを見ていると、いかに人が愚民となっているかがわかる。人というのは、脇役などのキャラクター。
愚民の使い方でうまいのは、日テレだろうなぁ。抜きん出ていると思う。あれは意識的なんだろうか? そういうことを平気でやりそうなテレビ局であるから、僕は半ば確信してしまっているのだけど。
日テレのドラマは緊迫感がない。まるでカートゥーンを見ているように、すべてはゆるゆるに進行していく。だが、カートゥーンにはメリハリがある。緩みきっていないで、きちんと衝撃が存在する。だから面白い。緩みきっているのもクスリとくるし、衝撃では笑える。だが、日テレではそれがない。ヒーローが苦難とも言えるようなものにもぶつからず、なんとなく事件を解決。そんなの悩む問題か? と思いたくなるほどノーテンキな主人公たち。でも話題になる。なぜかわからないが、話題にはなる。日テレは流石、愚民の扱いを良くわきまえている。
ヒーローものを書きたかったらごくせんでも見ればいいんじゃないかな、って思う。あの作品、あれで人気でしょ?
確かに、ディズニーランドなんかを見ていたら、それは納得できるんだけど、あのドラマは正直言って、アニメとかわりゃしない。わざわざドラマ化する必要がない。出演料の無駄だ。
つまりさ、みんなオタクなんだよ。ごくせんを見て、面白いって思う人たちは。美少女ゲームに嵌って、美少女サイコー! とか言ってる人たちと一緒。イケメンサイコーなんでしょ? イケメン♂パラダイスというのもあったね。でも、フジがああいうのをやると、ちゃんと様になっているように見えるのは気のせいかな。のだめとか。メイちゃんの執事は見てない。ゴメ、執事あんまり好きじゃない。
あぁ、イケメンサイコーとかいったけどそうじゃない。虚構に浸りたがってるんだよな。日テレとか結構学園を舞台にしたドラマやってたしね。まあ、それはいいんじゃないって、思うこともあるさ。だけども、単純に自分の欲望が映し出されているから好きになるっていうのは、ちと主体性がなさ過ぎるんじゃないかって思う。まあ、これが愚民の愚民たるゆえんだと思うけど。
ある面では非婚同盟を肯定しよう。ああやってマイノリティー(笑)として屹立することができるのだから。だが、またある面では否定する。それが願望を映す鏡になっているのだから。

暇~

2009.03.09 Monday 15:25

イトウちゃんのブログを読んだ。
だからなんだって話なわけだけど、別に自分でも見返さないブログだから適当に書いていく。

イトウちゃんは肉体がわからないという。それで、納得した。
僕は楽しいことがしたい。会話はもともと楽しいことだし、そもそも人が集まるというだけで楽しいものなのかもしれない。音楽も身体で聴いていると楽しくなる。
イトウちゃんは、多分これがわからない。
断じているわけじゃなくて、あくまでも予測。
常識に囚われてしまっている人はどうでもいいんだけど、大体の人は(僕の周りにいる人は)、肉体によって生きているように見える。肉体による感銘によって生きているというか。
そこに絶対的な差があるんじゃないかって、おもった。
肉体を持った人は、興味の持ち方が違うように思う。論理的ではなく、直感的に、野生の勘のごとく持つのだろうと思う。「わからないから」ではない。むしろ、そこを拠り所としていない。

と、いくら書いたとしても、僕はそもそも書くことに楽しみを覚えているから、どうだっていい。読後や、書くときの混沌とした思考が好きだから、書いたり読んだりしている。小説を書くときには、こう混沌とならない。混沌となったら、それなりの小説が書けるのか、よくわからないけれど。

最近YUIの歌詞が染みてくる。

http://www.spopro.net/stbc/
おもしれww
別に見たいとは思わないけど、こういう雰囲気は好き。
主演が柚木ティナだしね。まったく見る気しないけど好きだ。

ていうか、オレってAV女優が好きみたいだ。AV女優/永沢光雄もすぐ買っちゃったし。
単純に容姿だとか、スタイルだとかじゃなくて、人間的に、擬人化されていないという意味で。
彼女たちは彼女たちなりに生きてきて、AV女優として生活しているのだけど、それらはすべて一様ではない。また、彼女たちの感性だって一様ではないはずだ。少なくとも、僕には彼女たちが新鮮に見える。
まあ、単純に興味があるだけです。

2009.03.05 Thursday 17:47

偏見を無くそう、って、思ってるみたいだ、最近。
けれども、向こうが偏見を持っているなら、それに対しての偏見を持つようにもしている、みたいだ。
自分でも良くわからない。
平等さがほしいから偏見を無くそうと考えているわけじゃない。
むしろ、誰かにやさしさを振りまきたいと思ったときのように、ほとんどなんの考えも浮かばず――無意識的な意図はあったかもしれないが、その次元での話は考えないことにしている――そう思っている。
そう思うことが、正解に近いのかなんてわからない。むしろ、正解なんて無い。
ただ、自分がそういう風に考えているだけであって、ほかに意味は無い。

こんなレベルの話は、少し前からちっとも進歩していないなー、て思う。
まあ、もともと何が書きたいとかでここにタイピングしてるわけじゃないから、どうでもいいんだけど。

人の相談に乗るのが好きになってきたみたいだ。どんどん障害を破壊していって、自分を解放してもらいたいと思う。

人は、すべからく役者である。

2009.03.03 Tuesday 18:12

僕は、一度はずしたガードを捨てることはない。常に鎧を身に着けているし、長槍を持っている。問題は、それを構えているのか構えていないのかだけだ。構えているときは、演じているときで、構えていなければ演じていないとき、となる。
僕は人のことを信用していない。あるいは、すべての事象について信用していない。かといって、バイアスがないわけではない。問題はそこになく、僕が信用していないということは、常に演じている可能性があるということだ。
人が演じると、どれが真実なのかを見分けることができない。少なくとも僕は。だから、僕は常に対象者が演技しているのではないかという疑念を持って接している。こう考えると、不信心ものだと思われるかもしれない。事実そうなんだろう。しかし、僕は人のことを信じたいと思っているし、信じることは不可能ではないと思っている。今だって、信じている人はいる。ただ、それによって自分が傷つくのが怖いから、ワクチン接種のように演技のことを考える。だが、その効果はワクチンの何倍も薄まっている。もはや敵ではない。異分子ではない。いくら想定していても、僕はその人を信じたいという風に思っているから、発言に一喜一憂する。たとえどんな、些細な一言でも、僕の心を揺さぶるには十分だ。
逆に言えば、それだけ僕は人を信じたがっているからこそ、疑っているということになる。これは完全に矛盾ではない。人間は常にこういう概念を持っているものだと思う。裏返しなどではなく、これらは一平面状に存在する心の動きだ。

メールが楽しい。苦しいけれど楽しい。彼女とメールをしているというだけで、楽しい。いくらその内容があまりよくないものだったとしても、悔しいだけで済む。今凄く悔しい。けど、あきらめない。あきらめたらそこで試合終了だって、安西先生は言ったじゃないか。まあ、はっきり言って無関係だけど。
僕は試合を終わらせたいからあきらめないのではない。試合で成果を出したいからあきらめないのではない。やらなければ結果はでない――そういう意味の言葉だろうと思うが、別にやらなくてもいいのだ。僕の場合。その関係性に満足してしまうから。今つながっている――と錯覚することによって満足するから。イトウちゃんとこのログからもわかると思うけど。
ってか、みくしーの日記は携帯で書いたらダメだな。文章が死んでる。今度書き直そう。

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