MEN AT WORKという、山田詠美の対談集を買ってきて、読んでるのだけど、大沢在昌との対談の中で、ある話が出てくる。ちと引用。
山田 あるときの恋愛の相手は外国人だったけど、私より三十歳ぐらい年上の人で、「別れる」といったときに、ご飯食べながら、その人泣いてたのね。私の悪いくせなんだけど、文学的だなって思っちゃった(笑)。
大沢 それ作家になる前、それとも後?
山田 だいぶ前。目黒でとんかつ食べてたんだけどさ(笑)。
作家になる素質があったのかどうかわからないけど、彼が「豚肉はちゃんと火を通さないとだめだよ」って言うから、「火を通したものって何でもおいしい死骸になるのよね。熱いから」とかそんな会話を交わしてたわけ。
それで、彼が言った言葉というのが「僕はドラッグとか一切やらない人間だけど、日本に来て、まさかドラッグをやるとは思わなかった」って……。
大沢 文学的というよりキザだね(笑)。
山田 文学的といえば、バイセクシャルの男性とデートをして、そしたらその男性を愛する真性のゲイの男性がついてきたんだけど、彼らは肉体関係を持つことが、どうしてもできないのね。私を間におくことによって二人はインティメンイトな空間をつくっていた。「僕もそういうふうにやれたらホントに幸せなのにな」って言いながら……。
大沢 それは、文学的だね。
ここで僕的にははてなが浮かぶ。まずひとつに、別れるって言ってご飯を食べながらなく男は文学的なのだろうか。それから、「火を通したものって~」というくだりも文学的なのだろうか。そもそも、何を基準にして文学的であるのか、そうでないのかを判定しているのか。
僕は、確かに文学的なものというものをわかっていないだろうと思う。自分で答えを出すことができない。笙野頼子は、「文学とは小さい自分を大きく振り返ることだ」というようなことを言ったようだけど、どうもしっくりこない。
山田詠美という感性自体が、温故知新的なものであるから、仕方がないのかもしれないけれど、というより、文学的という指標が個々人によるものだったら、こんな問題を持ち出す必要がない。検証する必要がない。検証したところでそれは山田詠美の文学観であって、何の参考にもならない。「誰が正しいのかではなく、何が正しいかだ」
あー、なんか答えでたしそろそろRSが気になってきたのでこの辺で終わろう。
そういや、いまだに中原昌也が疑問だ。誰か解説してくれる人を求む。
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